「暗殺者グスタフ」

■舞台の準備■
・背景(夜の街並が遠くに見える暗がり)
・つい立て(暗がりにある壁)

■役者の用意■
・暗殺者グスタフ
・小男
・飲んだくれブルーノ
・娼婦ベルタ
・上級官使ハーゲン

■小道具■
・兄弟の写真(大)
・兄弟の写真(小)
・汚れたベット
・立派な椅子と机
・暗い色の羽

■台本■

【語り】「暗殺者グスタフ」

【語り】彼の本当の名を知る者はいない。彼の姿を見て生き伸びたものはいない。彼は下水道の中で産まれ、溝ネズミに育てられたという。彼は人の世の影で生きた。影は人の世にはつきものだった。人々が自分から落ちる影を知るように、誰もが何処かでグスタフの噂を聞いていた。彼は影の中で仕事をする。暗殺者グスタフ。しかし彼の本当の生い立ちを知る者はいない。

●グスタフを登場させる。

【セリフ】グスタフ「今日、俺が〝命を入れてやる人形〟はあの小男だな。」

【語り】グスタフは殺しのことを「人形に〝命を入れる〟」という奇妙な呼び方をしていた。彼にかかればどんなに屈強な男でも一瞬のうちに人形のように片付けられた。急所に短刀を差し入れ、致命傷を与えるためにグルリと刃をかき回す時、彼の手の中で命が動くのをグスタフは知っていた。今日もまた一人、彼の手によって〝命が入れられ〟ようとしていた。グスタフは町の影の中に溶け込んだ。

●グスタフを背景のつい立ての脇に隠す。

【語り】そこに一人の小男が通りかかった。

●小男を登場させる。小男を歩かせながら。

【セリフ】小男「ふふふふ、今日はたんまり儲かったぞ。さて一杯酒でも飲んでいくとしよう。」

●グスタフを素早く小男とすれ違えさせる。グスタフを小男の背後へ。

【セリフ】小男「おやっ? 今何だか影がすっと通り過ぎた気がするぞ?」

【セリフ】グスタフ「お前は少々やりすぎたようだな。小物は小物らしくイカサマも程々にしておくんだったな。」

【語り】そう言うやいなやグスタフは小男の脇腹に短刀を突き入れ、そしてひねった。
    「ズシャア!」

【セリフ】小男「ぐえぇぇ!」

●小男をその場にパタリと倒す。

●グスタフをしばらく小男を見下ろさせ、静かに立ち去らせる。グスタフ退場。

●小男もどかす。

【語り】グスタフに誰が殺しを命じていたのか誰にも解らなかった。ただ人の世の影がグスタフに殺しを命じていたのかも知れない。ここにブルーノという若い男がいる。ブルーノは毎日酒を飲み歩き、方々の酒場で騒ぎを起こしては飲み代を踏み倒していた。この男のもとにグスタフがあらわれる。そこはある路地裏の暗がりだった。

●ブルーノを登場させる。フラフラしながら。

【セリフ】ブルーノ「ちきしょう今日も収穫は無しだったな。」

【語り】暗がりの影の中からグスタフがあらわれる。

●グスタフを登場させる。音もなくブルーノの前に進ませる。

●ブルーノを驚いて後ずさりさせる。

【セリフ】ブルーノ「おっお前は…、まさかグスタフ。とうとう俺にも焼きが回っちまったということか…。」

●グスタフを一歩ブルーノに近づかせる。

●ブルーノ、怯えながら。

【セリフ】ブルーノ「待ってくれ! 俺は人を探していたんだ。俺にはたった一人の弟がいた。しかし俺たちがまだ小さい頃、突然弟は消えちまったんだ。ほら、ここに写真がある。ここに映っているのが俺と弟だ。俺は方々の酒場でこの弟のことを聞いて回っていたんだ。俺は弟を見つけ出したいんだ! 頼む、見逃してくれ!」

【セリフ】グスタフ「お前の弟のことなど俺にはどうでもいいことだ。お前は溜めに溜めたツケを支払わなくてはならない。」

【語り】グスタフはそう言うとブルーノに音もなく近づいていった。

●グスタフをブルーノに近づかせる。

【語り】グスタフの短剣が僅かに光る。
    「ズバッァ!」

【セリフ】ブルーノ「うあぁぁ!」

●ブルーノをその場にパタリと倒す。

【語り】そのときブルーノの手から写真が落ちた。グスタフは目の片隅でその写真を見下ろしていた。その写真には微笑んだ子供の兄弟が映っていた。小さな方の子供は白くきれいな羽の付いた帽子を被っている。その兄弟の後ろには大きな屋敷が映っていた。

●小道具「兄弟の写真(大)」を観客に見せる。

【語り】その光景はグルタフにとってはまさに無縁の光景だった。グスタフが物心ついたとき、そこはすでに下水の悪臭の中だった。彼の手は血に染まっていた。グスタフはその写真を拾い上げると彼の居場所である影の中に溶けていった。

●小道具「兄弟の写真」を引っ込める。

●グスタフを静かに立ち去らせる。

●ブルーノもどかす。

【語り】グスタフには母親の記憶も父親の記憶もなかった。彼には愛情というものが解らなかった。彼にとって確かだったのは、下水の冷たさの中で感じた自分の身体の中を流れる血のぬくもりだった。血が彼の暖かさだった。この町の薄汚れた娼館の一室にベルタという盲目の年老いた娼婦がいる。ベルタは目が見えないことを逆手に取り、油断した客から金を盗み取っていた。この女のもとにグスタフが現れる。

●小道具「汚れたベット」を設置する。

●娼婦ベルタを登場させる。ベットの脇に立たせる。

【セリフ】ベルタ「何だいあの客は、態度の割には財布の方はすっからかんじゃないかい。」

●グスタフを登場させる。ベルタから少し離れた場所に。

【セリフ】ベルタ「誰だい? わたしから身を隠そうたってそうはいかないよ。そこにいるのはお見通しなんだ。何とか言ったらどうだい?」

●グスタフをベルタに少し近づかせる。

【セリフ】グスタフ「ほう。俺の気配を感じとるとはな。どうやら鼻が利くのは金の匂いだけじゃないらしいな。」

●ベルタをグスタフの方に向かせる。

【セリフ】ベルタ「何を訳の分からないことを言ってるんだい。だいたいわたしに何か用でもあるのかい? それともあんたもわたしみたいな年増で盲目の女がお好みというわけかい?」

【セリフ】グスタフ「生憎だがお前にはもっといいものをくれてやるさ。」

●グスタフを一歩ベルタに近づける。

【語り】その時ベルタはグスタフのただならぬ気配を感じとりベットの上に飛び退いた。

●ベルタをベットの上に飛び乗らせる。

【セリフ】ベルタ「待っておくれよ! 金を盗んだのにはちゃんとわけがあるんだよ! わたしには可愛い息子がいるんだ。その子はわたしのこの目を潰した奴に奪われちまったんだ。わたしはお金をためてその子を見つけ出してやりたいんだよ。」

【セリフ】グスタフ「今更誰の子かも解らぬやつに会っても仕方あるまい。」

●ベルタを逆上したように

【セリフ】ベルタ「違うんだよ! わたしはこんな商売に身を落とす前は立派なお屋敷で使用人として働いていたのさ。でも若かったわたしはそこの主人にたぶらかされて息子を身ごもったんだ。あいつはわたしにこっそり子を産ませたけど、しばらくするとわたしと息子を捨てたのさ。そしてわたしと息子を引き離し、この目まで奪ったのさ!」

【セリフ】グスタフ「きさまのその与太話が本当だとして、その潰れた目でどうやってその息子とやらを見つけるつもりだ?」

●ベルタをすこし嬉しそうに

【セリフ】ベルタ「わたしにはわかるのさ! わたしは可愛い坊やのためにきれいな羽の付いた帽子をつくってやった。坊やはその帽子をとっても気に入って、いつもその帽子をかぶっていたのさ! あの子のことだ。きっと今でもその帽子を大事に持っているに違いないのさ。」

【語り】その時グスタフは、いつか〝命を入れてやった〟あの飲んだくれのブルーノが持っていた写真を思い出していた。そこには羽のついた帽子を被った子供が映っていた。

【セリフ】グスタフ「その可愛い坊やとやらは、どうやらずいぶんと人騒がせなやつらしいな。」

【セリフ】ベルタ「どういうことだい? あんた! もしかしてわたしの息子を知っているのかい?」

【語り】そうベルタが言うが早いか、グスタフは素早くベルタに近づいた。

●グスタフを素早くベルタの近くに。

【語り】グスタフの短刀がひらめく。
    「シュバッ!」

【セリフ】ベルタ「ぎゃぁぁ!」

●ベルタをベットの上ににパタリと倒す。

【語り】グスタフはポケットの中からブルーノの写真を取り出し、しばらく眺めたあとまたポケットの中に戻した。

【セリフ】グスタフ「きさまの坊やかどうかは知らんが慰めにこの写真をくれてやってもよかったが、どうせきさまには見えなかったんだったな。」

【語り】そう言うとグスタフは影の中に戻っていった。

●グスタフを立ち去らせる。

●ベルタと「汚れたベット」をどかす。

【語り】この町には大きな屋敷があった。その屋敷の主、上級官使ハーゲンはこの町をしきる役人だった。ハーゲンはありとあらゆる権謀術策を尽くして自らの立場を守っていた。このハーゲンのもとにグスタフがやってくる。

●グスタフを登場させる。

【セリフ】グスタフ「ここだな。随分と立派な屋敷じゃないか。この屋敷の主は余程仕事に勤しんだらしいな。」

【語り】グスタフはこの屋敷に見覚えがあった。グスタフはブルーノの写真を取り出した。間違いなくこの屋敷は写真に映っている屋敷に違いなかった。

【セリフ】グスタフ「どうやら妙な巡り合わせでもあるらしいな。」

【語り】そう言ってグスタフは影に紛れ屋敷に忍び込んだ。

●グスタフを背景を飛び越えるように退場させ、今度は背景の横から登場させる。

【語り】屋敷に忍び込んだグスタフは、頭の中で抑え込まれていた記憶が遠くの方から押し寄せているのを感じていた。この屋敷に足を踏み入れたとき、グスタフは初めて訪れたはずのこの屋敷の構造を自分が熟知していることに気付いていた。

●グスタフを出てきた反対側に退場させる。

●小道具「立派な椅子と机」を設置する。

●上級官使ハーゲンを登場させ、机の前辺りをウロウロさせる。

【セリフ】ハーゲン「なんてことだ! あの強欲な低能め、このわたしを出し抜くつもりか! そうはさせんぞ。あいつにはしっかり道理を解らせねばならんな。」

●グスタフを登場させ、まず壁際に置く。

【語り】グスタフは影の中から音もなくハーゲンの前に姿を表した。

●グスタフを前に出しハーゲンと距離をとって対面させる。

【セリフ】ハーゲン「だれだ! そこにいるのは!」

【セリフ】グスタフ「どうやら今回ばかりはヘマをしたらしいな。おまえのお仲間のほうが一枚上手だったわけだ。」

●ハーゲン驚いて

【セリフ】ハーゲン「おまえはグスタフ! まさかこのわたしが…。」

●グスタフをまた一歩ハーゲンに近づかせる。

●ハーゲン後ずさって

【セリフ】ハーゲン「待て、わたしは長い間この町の役人として努めてきた。わたしはわたしなりにこの町の秩序を守ってきたのだ。」

【セリフ】グスタフ「おまえの言うその秩序とやらは随分と腐ったものでできているらしいな。」

【セリフ】ハーゲン「何とでも言うがいい。これまで自分が何をしてきたかはわかっている。確かにおまえのような男を使ったこともあった。それを今更ごまかすつもりはない。しかし、そうか…、おまえが現れた以上はわたしはもう…。」

【語り】そう言ってハーゲンはすべてを諦めたように椅子に座った。

●ハーゲンを諦めたように椅子に座らせる。

【語り】そしてハーゲンは大きく溜め息をつくとゆっくりと話をはじめた。

【セリフ】ハーゲン「せめて最後に言わせてくれ。わたしは一つだけ本当に悔やんでいたことがある。昔、この屋敷に若い使用人がいた。わたしはあいつに子を産ませた。妻はそのことを知っていたが何も言わなかった。妻の子と、そしてその弟として、わたしは育てるつもりだった。しかし、母親のあいつが騒ぎだした。わたしのような立場にあるものが、そのようなことを世間に知られるわけにはいかなかった。」

【語り】グスタフはハーゲンの話を黙ってきいていた。

【セリフ】ハーゲン「怖くなったわたしはあいつとその息子を遠くへやった。二度とわたしとの関係が解らぬよう手をうたせた。後でわたしはあいつの目は潰され娼婦街に売られ、息子は下水に捨てられたと聞いた。わたしの胸は痛んだ。わたしは本当にすまないことをしたと思っている。今となってはどうすることもできんが、もう一度だけでいい。わたしのもう一人の息子、あのエンリケをこの手で抱きしめてやりたかった…。」

【語り】しばらくの沈黙が流れた。そして、静かにグスタフは口を開いた。

【セリフ】グスタフ「なぜそんな話を俺に聞かせる。おまえが懺悔すべきなのは、あのベルタとかいう女とこの小僧にだろう」

【語り】そう言うとグスタフはブルーノの写真を取り出し、ハーゲンの机の上にほおり投げた。

●小道具「兄弟の写真(小)」をグスタフから「立派な机」の上に飛ばす。

【セリフ】ハーゲン「これは…っ、なぜおまえがこんなものをもっているんだ…?」

●ハーゲンを椅子から立ち上がらせ、グスタフと距離をとって対面させる。

【語り】グスタフには解っていた。あの飲んだくれのブルーノが自分の異母兄弟であったこと、娼婦のベルタが自分の母親であったこと、そして、自分の本当の名がエンリケであるということを。そして今、自分の目の前には父親が立っていた。影の中で生きてきたグスタフには存在しないはずの父親が手の届く所にいた。グスタフはそのすべてをはっきりと理解した。
 そのとき、グスタフの中で何かが走った。それは抑え込まれていた憎しみだったのか、それともかつては知っていたはずの愛情というものだったのか。グスタフには解らなかった。それは暗殺者グスタフの知らない何かだった。グスタフは自分の心臓が一度大きく波打つのを感じた。身体中を彼の〝ぬくもり〟が逆流するのを感じた。そして、自分の口がかすかにつぶやくのを聞いたように思った。

【セリフ】グスタフ「おとうさん…。」

【語り】次の瞬間、グスタフは走った。ハーゲンの間近にまで一瞬のうちに近づいた。

●グスタフをハーゲンの近くまで瞬時に近づける。

【語り】グスタフの手が素早く短刀に伸びる。そして、ハーゲンの脇腹を一気に貫いた。
    「ズッシャアァ!」

【セリフ】ハーゲン「ぐはぁぁぁ!」

【語り】ハーゲンはグスタフにもたれかかるように崩れた落ちた。それはまるでハーゲンがグスタフを抱いているかのように見えた。そして、ハーゲンの口から言葉がもれた。

【セリフ】ハーゲン「すまない…、エンリケ、おまえはわたしを…。」

【語り】グスタフが体を離すと、ハーゲンの体は床の上に転り落ちた。グスタフはそのまましばらくハーゲンを見下ろしていた。そして胸のポケットから一枚の羽を取り出すと、ハーゲンのまわりにできた血溜まりの中に落とした。

●小道具「暗い色の羽」を置く。(グスタフとハーゲンの向こう側、観客に見えるように。)

【語り】それはグスタフがあの下水道の中で握りしめていたものだった。その羽は下水の汚れた水に浸かり暗く変色していた。
そして、グスタフは音もなく影の中に消えていった。

●グスタフを退場させる。

●ハーゲンと「立派な椅子と机」をどかす。「暗い色の羽」は残す。

【語り】落ちた影と影は合わさりひとつの形とになる。それがなんの影であっても、影と影とはひとつに溶け合い影の中で一体となる。影は形のあるものに常に付き従い、その影が消えた時、その実態もまた消えてなくなる。
あれからグスタフの姿を見た者はいない。

おしまい。