「二度目の誕生日」

 私が母親の子宮から生まれ落ちてから、もう一度この世界に生まれたのは、 当然のことながら私が最初に死んだ後のことでございます。

 幼少時代、私は信頼の中に生きていました。両親や他の大人達は、世界が、社会が、人生がどんなものであるのかを知っていて、何にも知らない私を調教して下さいました。しかし、「私が成長し、両親よりも頭の高さだけ高くなり、彼らの肩ごしに向こうを見ることができる」ようになると、私は「彼らの背後にはなにもない」ことに気づいたのでございます。私はちょうどこのときに一度日の死を経験したのでございます。というのも私がそれまで信じて疑わなかった「義務も、慣習も、明確に規定されている礼式も、たちどころに消滅してしまい。私は突然正当化されえず正当化されえないものとして、自分のおそるべき自由を痛感したのでございます。すべてははじめからやり直さなければならない。私はたちまち、孤独と虚無のただなかに投げ出されたのでございます。」

 こうして私はニ度目の誕生日を迎えました。あれから幾歳月かが過ぎ去りましたが、私が気が気でならないのは、こんな言い方をするのはどうかと思わないでもありませんが、世間にのさばっている尊敬すべき紳士婦女達の多くが、このニ度目の誕生日をちっとも迎える気配さえ見せないことでこさいます。彼らはなるほど確かに利口で有能な方々でございますが、悲しいかなこの世界に生きて在ることの驚きを知らずに終わるのでございます。私の勝手な考えでございますが、このニ度目の誕生日を迎えなければ「人生はただ長々しいだけの徒労」になってしまうのではないでしょうか?確かに私達はこの鼻先に突き付けられた「うむをいわさぬ実際的必要性に身も心もささげてしまい、そこから目をはなすことも許されなくなってしまい」ますが、一度そこから離れ、一度死ぬことができなければ、生きこともできないのだと考えるのでございます。

 というわけで私はこっそりと人知れず、世間一般ではあんまり認知されていないこの「ニ度目の誕生日」を祝うのでございます。