「世界」

私達が属しているこの世界と「重なるように」存在する、ある広大な世界がある。
そこでは一切が可能であり、一切の可能性が試されている。
私達はその世界の存在を通常無視しているかのようであるが、私達は常にその世界を知覚しているのだ。
その世界は、例えば人生の生き辛さから、それに対処するように私達が考え出したものではなく、私達はそこから生まれ出て来たのである。
人生を虚しいものと看做し、自分という一人の人間が与えられていることに対し、不可思議だと感じる私達人間の背後にあるかのようなこの意識は、その世界と繋がるものである。
その世界の存在を実証主義的に証明しようとすれば、そのような認識の仕方である限り、それは何処までも零れ降ちてしまうだろう。
その発現はここでは個人的な幻想として捉えられ、詩的なるものの領分として、書店の書棚に、或いは美術館の壁面に、絵画として、或いは文学として、実際生活とは無関係であるがごとく、その特定の位置を与えられてきた。
私達が関心を寄せられるものは、とりあえずは私達と似た者たちだけだっただろう。
私達の認識と欲望の射程は、今日私達がそう思い込み合って造り上げているこの世界では支えきれるものではない。
私達はもっと認識の幅を実際そうであるところまで拡げ、私達の世界に対するイメージを改変しなくてはならない。
物理的な諸法則を超えて、在りもしないことをまるで在るかのように思い込むのは、私達の最も得意とするところなのだから。